法律と道徳・倫理

どこが中心か、どこが端っこか、

どっちが上でどっちがしたかわからない。

広い広い、どこまでも真っ暗が広がる空間 宇宙

 

途方もない空間のどのあたりかわからない場所に

たぶん一つだけのいきものが住む小さな星 地球

 

45億歳の地球。

誰もいない何もない恒久のの長い時間の中で海ができ大陸ができた。

奇跡とも呼べるほんのちょっとの偶然で単細胞生物が生まれ、長い時間をかけてその源泉は様々に枝分かれしていった。

いきものがそれぞれの環境にあわせて進化していった。

海にいきるさかな、4本足で草原を走る動物、森林で咲く色とりどりの植物、空を翔ける鳥。

多種多様な植物動物昆虫細菌が生まれた。

 

想像してほしい。

小さな小さな星の、見渡す限り草原が広がる広大な大地の上に2本の足ですっくと立つ、ひと。

地球に誕生したひと、生態系の中のひと、地球に生きる生物ひと。

【君が立つ地面は ホラ 360度全て道なんだ】

 

その“ひと”はなにかルールに縛られているだろうか。

なにかルールはその“ひと”を縛りうるだろうか。

 

 

その“ひと”に“してはいけないこと”はないはずだ。

その“ひと”と僕らは違う生き物だろうか。

 

僕は思う。

この世界に“絶対にしてはいけないこと”なんかない。

守るべきルールなんていうものはない。

そして誰かをルールで縛ることもできるわけがない。

 

僕らは、自由だ・・・!

 

 

 

 

はい、ポエマーえだまめ大爆発。

こんなことを書いちゃった恥ずかしさで向こう3日間は顔真っ赤にして過ごしてると思います。リンゴちゃんって呼んでください。

冗談です。

 

 

自分の頭の中にある脳内空間の中を、書きたいと思う内容がぐるぐる飛んでるんですよ。

あぁこんな内容で書きたいな、あぁそんな内容も書きたいなって。

じゃあいざこういうテーマで書こうかしらんと神妙なオモモチでパソコンの前にちょこなんと座ってみたのに、指がピクリとも動かないってことが頻繁にあるんです。文章を書くって能力・チカラがないくせに書きたい想いだけが頭でっかちに先走るせいで一歩目がでない状態。

頭身あってない頭でっかちの巨人、たぶん5m級の巨人が勢いだけで走ろうとしてる状況を思い浮かべてごらんなさい。キモいでしょ。そういう状態。いぇぇぇぇぇがぁぁぁぁぁぁぁ。

 

なにか投稿書くとき、すーっと本題に入れる時もあるんです。そういう時は大概、軽い話題だったりちょっと思い浮かんだようなことだったりします。そしてそういう時は大概、鼻くそホジホジしながら書いてます。ホジホジ記事です。

ところがどっこい、まぁまぁヘビーな話題になったりするとちょっとマクラを挟まないとしんどいな・マクラ挟みたいなって思うことがあるんですね。

今回、後者だったわけですが全然しっくりくるマクラが思い浮かばなかったの。マクラの高さあってなくて寝れない!状態。そんなときにうっかりバンプの「Stage of the ground」なんか聴いちゃったもんですからこんな感じのマクラになってしまって、かつ確かに書けたはいいけどまぁまぁ恥ずかしいぞこれ、って思ったからこうして長々といいわけ講釈をたれたわけです。てへぺろ

途中の引用はこの曲です。とってもかっこいいのでみんな聴くべき。

 

 

 

 

『法律と道徳・倫理』。

 

時々、「法律で決まってることだから!」というような考えの人と出会います。

法律のことを「守るべきルール」というように捉えてる人。

“法律で決まってるから制限時速を超えて走ってはいけない”

“法律で決まってるから体罰をしてはいけない”

“法律で決まってるから人を殺してはいけない”

 

 

 

その考え方、嫌いじゃないですけど賛同できません。

 

うんこポエムのなかでも書きましたが、

もともと世界に“してはいけないこと”なんかありません。

 

 

法律に載っていることだって、別に“してはいけないこと”ではありません。

別に全然やっちゃっていいんです。

やっちゃえ日産だってやっちゃったんですYAZAWAさん。

どうぞ、ご自由に。レッツゴーン。いっちゃった。

 

僕らは法律に思想を強制されるべきではありません。

やりたいことはやっていいんです。

 

 

さぁ、法律から解き放たれなさい!

 

 

 

とまぁこんなことを書くと“おまえイタい奴だな”とお思いかもしれません。

もうちょっと我慢して読んでください。

 

 

みなさまに強調したいのは、

「法律できまってるからやっちゃいけない」じゃない!

というとこです。

 

 

法律は、“やっちゃうと罰を与えられる行動”と“与えられる罰”が書かれているに過ぎません。

“やっていいか”“やっちゃいけないか”を決めるのは自分の心

です。

 

「法律できまってるからやっちゃいけない」論者は

ともすれば「法律できまってないことは(なんでも)やっていい」論者になりえます。

 

法律で裁かれないから学校で同級生をいじめてもいい

法律で裁かれないから職場の部下の悪口を広めてもいい

 

 

違います。

なにをしていいか・なにをしてはいけないかは自分の心で決めるんです。

 

法律があるから人を殺してはいけないのではありません

罰を与えられるから人を殺してはいけないのではありません

 

人を殺すと悲しむ人がいるから殺してはいけないのです。

いじめてはいけないのは悲しむ人がいるからです。

悪口を広めてはいけないのは悲しむ人がいるからです。

 

悲しむ人、それが相手なのか、自分なのか、相手の家族なのか、自分の家族なのか、友達なのか恋人なのか、先輩なのか後輩なのか、それはわかりません。

 

ですが自分を愛している家族はどう感じるでしょうか、自分を頼りにしてる上司はどう感じるでしょうか、自分を慕う後輩はどう感じるでしょうか。

 

それに気づけるか。

 

 

理解していただきやすくするために“一般的に悪いとみなされること”を具体例にあげましたが、それだけに当てはまるものではありません。

 

聖職者として長時間労働を強いられている人も、体を壊してしまうのであれば、それで悲しむ人がいるなら、それに気づいたなら、それはあなたにとって“してはいけないこと”です。

風俗で働いている人も、それで悲しむ人がいるなら、それに気づいたなら、それはあなたにとって“してはいけないこと”です。

 

仕事に良い悪いはありません。僻む必要もありませんし卑下する必要もありませんし、他人様の職に対してああだこうだいう資格は誰にもありません。

 

全ての判断基準は自分の心です。

 

善し悪しを決めるのも、その上でどう行動するかも。

 

 

よりよい判断をできるように、

ハートを磨くっきゃない