駄文と 曲解釈に見せかけた感想。(Please)fogive

知らずのうちにようよう春めきたる外気に触発された。

 

 

普段の生活はまるで、大きな大きな塔の中のおよそ傾斜の感ぜられぬ螺旋階段を登っているかのようで「私は螺旋階段に居るんだ」という事前認識があればこそきっとおそらく登っているに違いないんだろうと思いこそすれども、登れている実感はままならぬような日々である。午前中に起床し出勤。仕事柄一日のほとんどを窓のない建物の中で過ごすゆえ、時計上で夕暮れを予感する事は出来ても体で夜を感じられるのは退勤してからである。そしてその頃には体感時間でも十二分に一日の終わりを認識できているので、夜の真新しさは微塵も感じられない。一日の端っこと端っこを見る事はできても、一日のなかの明るさや温度の少しずつの変化を体感する事はできない。

そんな折り、休みの日の昼下がり、ふと洗濯をしようと思い立った。

食器を洗うのは未使用の皿か箸がなくなってから、洗濯するのは未使用のパンツかユニフォームがなくなってからという怠慢な私の習性上、それらは「やばい!未使用のユニフォームが残り一枚だ!明日の勤務どうしよう!」という逼迫した状況に陥ってやっと行われることが多い。食器に関しては痺れを切らせた妻がしてくれる事が多いのだが、一方洗濯物となると仕事の都合上週の半分ほどは実家に帰らざるをえない妻のセンサーをかいくぐることが容易で、その容易さと比例して容易に溜まりに溜まっていくのである。であるからして、逼迫していればこそ深夜でもせざるをえぬという状況ゆえ騒音の罪悪感を覚えども洗濯は泣く泣く決行されるのである。すなわち、休みの日に時間があるからといえど日中に洗濯物をする事など、私の習性上滅多にない事なのである。

珍しく、日中に洗濯をする気になった。それに伴い、長い間干され続けている洗濯物を取り込むはめになった。怠慢な性格上、好き好んで洗濯物を取り込んだわけではない。洗い物を干す場所がなかったからよもや取り込まざるをえなかっただけである。

 

休みの日の昼下がり、ふと洗濯をしようと思い立った。

洗濯物を洗濯機にぶち込み数十分経ったのち、洗濯機が洗濯の終了をアラームで知らせた。

室内で洗濯しようと思い立ち、室内で洗濯機を回し、室内で洗い物をかごに入れ、干す段となりベランダに出た。

なんと春なことか。

寒くもなければ暑くもなく、風が吹けばひんやりとするものの至って不快感を覚えさせぬ外気温。日中に外に出る事が久しかった私には冬以降初めて体感した気温だった。

洗濯物を干す場所を確保しようと、干されていたタオルに触れた。

なんとも春なことか。

柔らかな日差しに包まれ暖められたタオルの優しき事。あぁ、このタオルが春なのだ。

蒲公英でも桜でもなく、このタオルこそ春を報せたのだ。

それは螺旋階段のさなか突如現れた塔の踊り場のようで、無機質な生活に季節を吹き込んだ。あぁ、やはり登れて居たのだと気づかせてくれた。安堵をもたらしてくれた。

 

知らずのうちにようよう春めきたる春に触発された。

 

悲しいようなうれしいような、泣きたくなるような浮き足立つような心持は人を駆り立てる。洗濯物を干した私は知らず知らずのうちに車の鍵を握っていた。職場で履く新しい靴を買いに行く事にした。

 

車内。窓を開け春を取り入れ、流すBGMはバンプ。RAY。『(Please)forgive』。

 

 

この記事は私小説に見せかけた日記に見せかけた『(Please)forgive』の僕なりの聞き方紹介である。

 

僕はこの曲をずっとリピートし続けた時期がある。

 

僕の前職は飲食店で、社員僕一人・残り全員学生アルバイトみたいな職場だった。

どれだけ仲良くなってもどれだけ話せるようになっても、学校卒業とともに職場も卒業していく。

ずっとみんなと働いていたい気持ちは強いけど、卒業は彼ら彼女らの晴れ舞台で、それぞれの新しいステージへの分岐点でもある。地元に帰ったり都会に出て行ったり、はたまた新しい土地で仕事に就いたり。みながそれぞれの場所での新しい生活に向け旅立っていく。それはとても喜ばしい事ではあるけれども、職場に残り続けるのは僕だけで皆いずれ旅立つ。みんなと一緒に働けず、僕だけが取り残される。

だから、いつかみんなが帰ってこられるように僕はここで仕事を続けよう、みんなと久しぶりにここで会えるように。

 

そう思いを切り替えそめた時期に、店が潰れる事が決まった。

卒業するでもなく皆が羽ばたく事になった。系列店に残るか、去るか。なんでこんなことになったんだろうと思っていた時期、店で一人で勤務しているときに聴いていた曲です。

 

読んでください。

聴いてください。

BUMP OF CHICKENで『(Please)fogive』

 

あなたを乗せた飛行機が あなたの行きたい場所まで

どうかあまり揺れないで 無事に着きますように

 

最近は別に元気じゃない それが平常で不満もない

生活に変化は求めない 現実とマンガは重ねない

 

いつまで続けるの 終わりがあるものなの

頭はずっと忙しく

 

心はずっと もうずっと

絶え間なく叫んで 私を叫んで

たとえ耳を塞いでも 聴こえてしまうんだ

ただ怖いだけなんだ 不自由じゃなくなるのが

守られていた事を 思い知らされるのが

 

自分で選んできたのに 選ばされたと思いたい

一歩も動いちゃいないのに ここがどこかさえ怪しい

 

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

せめて空は泣かないで 優しく晴れますように

 

どこまでごまかすの 誰に許されたいの

頭はきっと嘘をつく

 

心はきっと もっとずっと

遠くを見ていて 近くに見ていて

閉じたまぶたの裏側に 映してしまうんだ

まだ憧れちゃうんだ 自由と戦う日々を

性懲りもなく何度も 描いてしまうんだ

 

求めない 重ねない 望まない 筈がない

生きているから 生きているから

 

残酷な程自由だ 逃げようのない事実なんだ

震える手でその足で 全てを決めるんだ

絶え間なく叫んで あなたを見ていて

それを続けた心で あなたは選んだんだ

 

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

 

 

曲の最後、「あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで」のあと、

歌詞にはなっていませんが「ララララーラ ラーララー」と唄われています。

そこに全てが詰め込まれています。いろんな気持ちが、いろんな思いが、いろんな祈りが。

聴くごとに彩りを変える、とても不思議で、とても大切な曲です。

 

 

(どうか)許して