ガラスのブルース 歌詞解釈その前に。

今回はBUMP OF CHICKENの『ガラスのブルース』という楽曲の歌詞についての話がしたいと思います。割とちゃんと書こうと思っているので膨大な文章になると思います。できれば最後までお付き合いください。

歌詞のお話をしていくのに歌詞がわからないままだと僕がつべこべ言っても仕方ないので皆さんもつべこべ言わず歌詞を見てください。

 

 

ガラスのブルース

 

ガラスの眼をした猫は唄うよ 大きな声で りんりんと

ガラスの眼をした猫は唄うよ 風にヒゲをゆらし りんりんと

 

声が枯れたなら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう

昨日よりマシな 飯が食えたなら

今日はいい日だったと 空を見上げて笑いとばしてやる

 

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

ああ 僕はいつも 力強く生きているよ

 

ガラスの眼をした猫は唄うよ お腹が空いても りんりんと

ガラスの眼をした猫は唄うよ 生きてる証拠を りんりんと

ガラスの眼をした猫は叫ぶよ 短い命を りんりんと

ガラスの眼をした猫は叫ぶよ 大切な今を りんりんと

 

生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけないよ

嵐が来ようが 雨が降ろうが

いつでも全力で 空を見上げて笑いとばしてやる

 

ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる

ああ その日まで 精いっぱい歌を唄う

 

声が枯れたなら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう

生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃイケナイ

だから僕は歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ

僕はイマをサケブよ

 

ガラスの眼を持つ猫は星になったよ 大きな声も止まったよ

命のカケラも燃やし尽くしてしまったね 得意のブルースも聴けないね

 

だけどオマエのそのブルースは 皆の心の中に刻まれた

これからツライ事がもしあったなら 皆は唄いだす

ガラスの眼を持つ 猫を思い出して

空を見上げて ガラスのブルース

 

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

ああ 僕はいつも 力強く生きているよ

ああ 僕の前に クラヤミがたちこめても

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

 

 

まずこの楽曲について一つ強調してお伝えしておきたいことは!バンプのボーカル藤原基央(以下藤くん)がこの曲を作ったときの齢!!なんと16歳!!!

そして藤くんが初めて日本語で作詞した楽曲!!初めてでこれってどういうこと!!

木村拓哉もびっくりのチョマテヨ具合!ツイ廃じゃなくいたって言いたくなる「ちょっと待って!!」

誤解を恐れずいうなら頭おかしい!

 

 

・・・

 

 

  • 圧倒的源流

この曲は1995年に作られました。今から24年も前です。

現在の視点からこの曲を見たとき、

「この曲は藤くんの作詞の『源流』のひとつである」、と言う事が出来ます。

 

一部の記事では、初めて日本語で作られた曲であること・アルバム一曲目ということなどが相まって、この曲はバンプの“原点”だと表現されてたりします。わからなくもないと思います。僕もはじめは原点と書こうとしていました。この曲以降現在に至るまでの間に藤原基央その人から生まれ出てきた楽曲の多くに『ガラスのブルース』のエッセンスが含まれているからです。しかし、よくよく考えると“原点”という表現よりも“源流”という表現の方がしっくりくるなと思いました。点というよりも、そこから脈々と続いている水流・源泉、というニュアンスを含めたかったからです。ゆえに“源流”という言葉を選びました。

 

では具体的に歌詞を取り上げつつ、源流たるゆえんを釈明します。

これまでのバンプの楽曲の歌詞をある程度知ってる人向けの内容になってしまう事をご容赦ください。

 

 

◎単語・語句の共通

この曲の歌詞に使われている単語・語句の多くがこの曲以降にリリースされる楽曲の歌詞にも頻繁に用いられています。

その点で、同じ脈流に沿っていると見なしていいように思います。

 

ガラス→ガラス玉『カルマ』『リボン』

 

猫→『K』『fire sign

 

水に写る顔→水筒に写る自分の顔『Stage of the ground』→水筒って便利だ『セントエルモの火

 

証拠→証拠『sailing day』→証『孤独の合唱』『シリウス

 

嵐→『sailing day』『ファイター』『リボン』『望遠のマーチ』

 

雨→『天体観測』『fire sign』『arrows』『HAPPY』『宇宙飛行士への手紙』『ウェザーリポート』『虹を待つ人』『ゼロ』『コロニー』『ファイター』『宝石になった日』『アンサー』『Spica』

 

星→『天体観測』『Stage of the ground』『プラネタリウム』『angel fall』『サザンクロス』『ray』

 

空→『涙のふるさと』『真っ赤な空を見ただろうか』『宇宙飛行士への手紙』『トーチ』『GO』『流星群』『記念撮影』『話がしたいよ』

 

イマ→『天体観測』

 

 一部、語句は違っても意味でつながりがあるものや、逆に意味のつながりは薄い同じ語句もあげておりますが、

おおざっぱにみると言葉だけでもこれだけの派生が生まれてます。

これが全てでもないだろうし抜けもあるかもしれませんが、十分に共通項と見なせる部分はあると思います。

 

むしろ、単語の字面での共通より、

○水に写る顔→水筒に写る自分の顔→水筒って便利だ

の流れや、

○ガラスの眼(丸くて透明でキラキラした丸いもの)→“ガラス玉” “星” “光”“飴玉”

という言葉の連想、

○生きてる証拠を唄う→メロディーフラッグ、小さな虫だって自分の唄は覚えてんだからさ(『ナイフ』)

等の言い回しの多様化、

○猫は死んだけど星になる→心が宝石を生むたびに高く浮かべて名前つけた(『GO』)

                           →あの月もあの星も全て君のための舞台照明(『Stage of the ground』)

などの類似表現

 

このあたりの“思想としての流動性”のほうが源流感を感じてもらいやすいかもしれません。

 

 

◎作詞のしかた

ガラスのブルース』って源流だと思うんだ、なんでかっていうとね、、、というお話の続きです。作詞の仕方。

 

ガラスのブルース』の構成は、

一番

Aメロ

Bメロ

サビ

 

二番

Aメロ

A‘メロ

Bメロ

サビ

 Cメロ(?)

 

Dメロ(?)

 

Bメロ

サビ

サビ

 

となっております。

注目していただきたいのは

Cメロ(?)のところです。

ここの歌詞は

一番Bメロの一行目「声が枯れたら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう」と

二番Bメロの一行目「生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけない(よ)」

が使い回されてます。セルフ引用。単に繰り返されているのではなく、曲調が違うところに用いられています。しかも一番と二番の同じ場所から抜き出している、というところがポイントです。普通、同じ歌詞を繰り返すとき、大抵メロディーも同じ状態で繰り返します。

そこをあえて違うメロディーにしている。ただ作詞の手を抜くために繰り返しているのではなく、意味を持たせるために意図的に繰り返している事がわかります。

なぜこの手法を“源流とみなす”かというと、以降の楽曲でもこの方法(違うメロディでのセルフ引用)が散見されるからです。

 

直近の曲でいうと『シリウス』でも見られます。

シリウス』の場合さらにややこしいセルフ引用がなされているのでドエライことになってます。詳しくは検索してみてください。

 

これのせいで歌詞を覚えるときにごっちゃごちゃになるからちょっと大変。

 

 

◎Cメロ(?)のはてなマーク

 

なぜはてなマークをつけたのか。

理由は至って簡単。Cメロなのかわからんからです。

正式には決まっているのかもしれません。そのあたり、調べ尽くしてる訳ではないので正解がわからないのですが、

Cメロとも捉えれるし、サビとも捉えれるのです。

この部分をサビと見なすなら、ここ以外のサビのところは実はCメロで、ここが唯一のサビとも見なすことができてしまい、「あれ?一番どっからどこまで?二番どっから??ていうか一番とかいう概念ある??」みたいな感じになります。

銀河鉄道』『arrows』『pinkie』『セントエルモの火

ぱっと聴いただけだとサビどこかわからん感じ、ていうか形式が自由すぎる。

 

CHAGE&ASKAのサビが「やーやーやーやーやーやーやー」だけの曲を皆さんご存じだと思いますが、

バンプにも(歌詞カードできには)「ラララ」だけの曲があったりするんです。

自由度高め。

ガラスのブルース』にもその片鱗が確認できます。

以上の「詞と曲の組み合わせ」という観点から見ても、以降の楽曲の基になる部分を感じることは出来るのではないのでしょうか。

 

 

◎終わりを見据える視点

「ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる」

 

「終わりまであなたといたい」(『ゼロ』)

「死なない神様 負けない 祈らない」(『飴玉の唄』)

「歳を数えてみると 気づくんだ 些細でも歴史を持っていた事(中略)それにも終わりが来るって事」(『supernova』)

 

終わりを見据えると言っても、唄ってるのはイマのこと。終わりを見据えているからこそ、イマを強く意識していることを強調させる藤くんの作詞方法。作詞方法っていうか思考回路なんでしょうけど。

とっても日本的な価値観ですよね、これ。

花は枯れるから美しい、的な。儚さ、失う事の切なさ、的な。

だからこそ今生きてることに焦点がいくという。

 

 

 

上記の4つの◎の項目、これ以降の楽曲にで散見される“あるあるネタ”がいっぱいあるね・つながってるねって事です。

 

これらの項目を鑑み、『ガラスのブルース』はBUMP OF CHICKENの源流と言っても過言ではないのではないか、ということを述べさせていただきました。

 

 

  • 歌詞の中身について

 

さ・て。

 

このブログでは“歌詞を文字のまま読み拾うことで過不足無く解釈をしていこう”と言う事を主題としておりますので、

歌詞を見て歌詞解釈をしていきましょうか。

 

 

 

と、思いましたがあまりに長いので別であげます。

またしても途中で断念。