話がしたいよ の 話をしたいよ その2

まさか2日にわたるとは思ってもみなかった。

なんてこった。

 

今回の序盤で前回の記事の内容について触れるので、まだ読んでない人は先に

こちらを読んでおいてほしいです。

 

加えて、今回は実際の曲を聴いた上で読んでもらった方がいいなと思ったのでPVもみてください。

注意点。

「お薬もらったし」と「飲まないし」のあいだに間があること

「飲まないし」と「どうやったって」のあいだに間がないこと

「抗いようもなく~話がしたいよ」の後に間奏が入ること

 


BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」

 

 

 

そうそう、言うの忘れてたんですけど、この曲、『億男』って映画に使われてるんです。

ほんで『億男』のために書き下ろされたらしいんです。

で、僕、その映画見てません汗

書き下ろされたってことは映画の内容を鑑みて作られてるはずなんですよ、たぶん。観てないから知らんけど、たぶん。

やから、映画を観た人・原作を知ってる人は内容を踏まえての感じ方になるはずですし、僕も映画観た後には感想・解釈が変わるかもしれません。

あくまでも、今の僕の解釈ってことに留意してください。

 

 

では前回の続きから歌詞を見ていきましょうといいたいところなんですが、ちょっと前パートのところをもう一度触らせてください。

 

 

ボイジャーは太陽系外に飛び出した今も

秒速10何キロだっけ

ずっと旅を続けてる

それの何がどうだというのかわからないけど急に

自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた

この部分、

ボイジャーは太陽系外に飛び出した今も

秒速10何キロだっけ ずっと旅を続けてる

それの何がどうだというのかわからないけど急に

自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた 

 

こっちの方がしっくり来ますね。なんとなく。

何が変わったって、改行の場所が変わっただけなんですけど。

それだけ?って思うかもしれないですけど。

 

前回、

ガム食べ始めてから ぺってするまでのところの歌詞は主人公の脳内世界だと思うってことを書きました。

ごめんなさい。一部誤りがありました。誤りじゃないっちゃ誤りじゃないんですけど誤りっちゃ誤りなんで謝ります。ごめんなさい。

どこかというと

「急に自分の呼吸の音に耳澄まして確かめた」のとこ。ここは現在の主人公の行動とみなした方が収まりがいい気がしてきました。

以前に”君”としてた”ボイジャーの話”が思い出された(ガムのせいで。ガムタイム)。

で、自分でもそれ(ボイジャーの話、または今それを思い出したこと)が自分にどんな効果があったんかわからんけど、急に、自分の呼吸の音に耳を澄まして確かめたくなった。

 

これが一番腑に落ちる気がしました。

”呼吸”という言葉は藤くんあるあるな言葉なんですが、その辺についてはほかの曲等を見ていただいてからのお話になるかなと思います。

 

 

体と心のどっちにここまで連れてこられたんだろう

どっちもくたびれてるけど

平気さ お薬もらったし

 

飲まないし

 

飲まへんのかーい。

 

ここは

どっちもくたびれてるけど 平気さ

お薬もらったし

 

飲まないし

 じゃなくて

どっちもくたびれてるけど

平気さ お薬もらったし

 

飲まないし

 のままでいいと思います。

「お薬もらったから大丈夫やで!まぁ薬は飲まんのやけどな」

てきなニュアンスかなと。

で、「お薬もらった”し”」「飲まない”けど”」じゃなくて「お薬もらった”し”」「飲まない”し”」。”し”で並列に並べていることから

”飲まないこと”それ自体も”平気”である理由になっている、つまり、

飲まへんから平気なんやでっていう表現な気がするんですよね。

 

でも、飲まないから平気ってどういうことなん

 

お薬、飲んだら、だめなんだよ。

飲んだら、直っちゃうから。

直っちゃったら、だめなんだよ。

くたびれたままいれる、そのままでいれるから平気なの。

まだ自分で進んでいけるんだから。

それを確認する時間なんですよ。

 

それに飲んだとしたって、

どうやったって戻れないのは一緒だよ

じゃあこういうことを思っているのも一緒がいい

肌をなでた今の風が 底の抜けた空が

あの日と似てるのに

 

抗いようもなく忘れながら生きてるよ

ねぇ 一体どんな言葉に僕ら出会ってたんだろう

鼻で愛想笑い 綺麗事 夏の終わる匂い

まだ覚えてるよ

話がしたいよ

 

「どうやったって戻れないのは一緒だよ。じゃあこういうことを思っているのも一緒がいい」

はい、神。

ここ、すき。

「だよ」「いい」

ここ、めっちゃいいだよ。

おんなじ単語使って違う意味を伝えるのうますぎ。

1回目の一緒は“変えられない”

2回目の一緒は”おんなじ”

ほかの曲でもいっぱいあるからまた違う曲でも紹介します。

 

 

ひとことひとことは忘れてしまう。

どんな情景かは覚えてるけどどんな言葉かは忘れてしまう。

「鼻で愛想笑い」「綺麗事」「夏の終わる匂い」はまだ覚えられているからそれらについてまた今話そうぜ。過去の再上映。あの頃の言葉とは違うかもしれないけど、今の言葉かもしれないけど、今話がしたいぜ。今なら君は一体どんな言葉をいくつみつけるんだい。

だってそうしないとそれらもまた忘れられていってしまうぜベイベー。

 

 

 

ここに間奏が入ります。壮大な。

「ああああああああああああああ話したいんじゃあああああああああああああああああ」

っていう気持ち爆☆発。

言葉にならない気持ち、それすなわちオーイェーアハーンなり。

今回はナーナーナーナーーナナーーナナーー。

 

間奏をこんなふうに感じたから、

タイトル「話がしたいよ」の”よ”は、

話がしたいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

っていう”よ”やと思いました。

捉えようによっちゃ

「相手に話しかける”よ”」(ケータイ落とした人に「おーい、ケータイおとしたよー」っていうときの”よ”)

「気持ちを伝える”よ”」(「A子ちゃんだって好きで浮気したんじゃないんだよ?」っていうときの”よ”)

とか、いろいろあると思うんですけどね。

 

 

そして曲調が落ち着きます。

気持ちも落ち着きます。

 

今までのなんだかんだとか これからがどうとか

心からどうでもいいんだ そんなことは

いや どうでもってそりゃ言いすぎかも

いや言い過ぎだけど

そう言ってやりたいんだ

大丈夫 わかってる

 言ってやりたいって、言葉を贈りたいって意味かい??

声をかけてあげたいってことかい??

でもぼくは言ってしまいたい・言いきってしまいたいってことだと思ったぜ

 

言い過ぎかもしれん、いや言い過ぎってことは分かってるんやけど言っちゃうぜ

過去も未来も気にちゃいかん、今(もう君がいない)を生きていかなきゃね。

そう言い聞かせるぜ。

 

ガムを紙にぺってして

バスが止まりドアが開く

 

バスが来ておまけの時間が終わる、

ガムタイムが終わる、

君を思い出して話したいと思ってていい今だけの時間が終わる。

バスのドアが開く。

 

 

 

 

バスが止まりドアが開くでこの曲は終わる。

この曲を聴き終えたとき頭に映る映像はドアの開いたバスの入り口なんです、僕。

いうたら主人公目線の映像で終わるんです。

もう自分がバスに乗る気満々の状態で終わるの。僕もう完全に出発する気なの。

 

バスって、どこか目的地に向かうために乗るもんですよね。

君との過去を思い出してたガムタイムを終えて、次の場所に向かう。お薬飲まずに。

 

 

 

 

 

 

この以上が僕の解釈でした。

 

この曲、別れの曲ですか?

僕は

「”現在もう別れてしまってる君”との過去を思い出して今の君と話がしたいと思ったけど僕は僕の今の世界を生きていく」

曲だと思いました。

過去の思い出いろいろあって懐かしいけど過去は過去、そりゃ今もおってくれたらうれしいし、めっちゃ話したいけど、あ、バス来たわ、一人で生きてかなな(君もガムくんもおらんし。)。

こんな感じ。

 

 

作詞として何がすごいって、

聞き馴染みのあるどこにでもある単語ばっかり(ボイジャー以外)使って

物語調の歌詞であるにもかかわらず、

一人一人に落とし込められるパッケージになってて、

一文字一文字の柔らかさが藤くんらしさを感じさせ、

切なさを含有しつつ、

前向きな気持ちにしてくれる(ていうか知らん間にさせられてる)

 

 

 

 

このひとあたまおかしい(褒め言葉)

 

 

 

っていう感じでした。

一応妄想的な表現(これは○○の比喩です、とか)をできるだけ無しにして文字と演奏だけをそのまんま読んで、「こういう風に感じました」ってことをまとめてみました。

 

そりゃね、ロストマンのときみたいに藤くん本人が

ロストマンは選択を失敗したやつの歌なんです、もう一人は成功してる自分なんです」的なことをいってるんやったらともかく、

おいおいそれはこじつけじゃないかいってのは「ありのままの曲を理解する」行為とは思えないんですよね。まぁそれはそれでおもしろいのはわかるんですけどね。

曲を原型のまま受け取って、どんなことを感じ取るか、そういう自由度の解釈ってのも悪くないんじゃないかしらん。

 

 

 

 

 

次解釈書くときはちゃんとまとめてから投稿するように気をつけます。

ごめんさない。