コロナを嘆くブログが山ほど書かれているコロナ期の世で書くほんのちょっとコロナに触れてるブログ記事

ほんのちょっとの出来心で久しぶりに自分のブログを見てみた。

はてなブログというものは、自分のブログのアクセス数を見ることができ直近31日分の記録が残されれている。開設以来の総アクセス数も見れる。当ブログは2020年4月27日22時現在2206回だそうです。多分半分ぐらいは僕が犯人なので1000件ぐらいは誰かが見た回数だと思われる。そのうち半分ぐらいはじんぺーによるので、残り500件。一度のアクセスにつきトップページ→記事ページ→トップページ→記事ページのようになるので、1人につきまぁ平均3回だとするとおよそ170人に見られていることになる。恐ろしい。

170人に見られていると思い浮かべると、少しパソコンの前で背筋が伸びる気がする。少しだけ。やぁこんにちは、どこかの誰かさん。

そしてなお恐ろしいことに前回の投稿から1年以上経過しているにもかかわらず、直近31日の間に105回のアクセスがあるのである。なんだ?暇なのか?世の人たちは暇なのか?

 

そう、暇なのである。

 

いまやテレビをつければ“見ない日はない”どころか一日の感染者数より報道回数のほうが多いんじゃないかという勢いで席巻しているコロナ。

その影響で自宅待機を強いられた(自宅待機に賛同した)多くの人たちが暇を持て余しているのである。本来であれば家の外に飛び出していきいきとハツラツと活動していた子供たちは家の中で留まるしかなくその有り余る活力は発散の場所をなくし、飼い慣らされていた社畜たちはいつになったら働けるんだと思いながら檻のなかでやむに已まれずシビレを飼い殺している。

コロナがもたらしている影響の大多数はそれはそれは不幸なもので、患者当事者様のみならず世だ世間だの動きの中で人の動きが止まり飲食店も営業中止だけでなく閉店にまで追い込まれ、それにともない行き場をなくした野菜たちは誰の口に運ばれることなくそのまま土に還らされ生産者は心と懐と未来がいためつけられている。

医療機関で働く人は身の回りの人たちやどこの誰だかわからない世間の人の心無い風評被害の風に曝されつつもきっと毎日目の回る忙しいさで最前線で仕事をしている。足を向けて寝られない。

 

そんな悪影響の風が吹き荒れる中、のうのうと鼻をほじりながらパソコンを触るわたしはどこへもかしこへも足を向けて寝られないので、仕方なく自分の家からどこへも出ずおとなしく部屋の隅で膝を抱えて眠ることにした。

 

 

有り余る時間のなかで愛しい愛しいBUMP OF CHICKENを検索した罪もないファンの人たちがBUMP OF CHICKENの名前をぶら下げただけのポエムブログなんかに嵌ってしまってたりなんかしないだろうか。まことにいたましい。これもコロナ被害といっても過言ではない。そんなことが起こらないことを祈るばかりである。バンプ BUMP ブログ 考察

 

 

 

 

さて、

自宅待機をしているみなさまの中にはhu-luなどを用いて過去のドラマを観ている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私も最近TRICKを観ました。しってますか、TRICK。私の人生の中で10本の指に入るくらいに面白いドラマです。アンナチュラル、過保護のカホコGTO、人にやさしくなども入ります。どれも、見たことない人は見たほうがいいです。コロナ期のお供にどうぞ。

TRICK、結構古いドラマで3期もやっててスペシャルドラマも映画化もされてるシリーズなんです。最初期のTRICKがテレビで放送されたのは2000年ですって(調べた)。

私当時小学生です。細かいネタや心の機微など、大人になって初めてわかることも多かったです。そもそも、いくら私が地元で神童と謳われた小学生だからと言ってもずいぶんと昔の記憶です、話すらあんまり覚えていませんでした。見直した価値はありました。

 

昔観てたTRICKを再度観た私は3つの体験をしました。

①物語をたどる。

②昔気づけなかったことを、今は気づけた

③昔観ていた時期のことを再体験

こうやって数字で上げて記述するとちょっと格式高いブログみたいですね。脱ポエムブログ。

 

①については特に書くことはありません。面白かったです。9本の指に入ります。

②について。多分当時の私は巨根と貧乳の意味は分かってなかったと思います。しかし!今は!わかる!よく家族でこんなドラマ見てたな。 あとシュールな笑い。

③がこの記事のメインイベントです。

ドラマを観たことを再体験と言っているのではありません。観ていた当時の思い出が思い起こされたのです。

そして一番強く主張したいのは、“思い出の再体験がいかに私に感慨深く響いたか”を書き述べたとしても全く誰も共感できないし面白くもなんともないということです。

例えば、当時の小学校では休み時間にキックベースが流行っていたこと、小学校から引っ越した私はキックベースのルールを知らずトラウマになった出来事があったこと、家への帰り道の長い坂、大雨のなか傘を持って行かずびしょぬれになって一人で帰ったこと、

そのどれもをだれとも共感できない事実。

 

音楽や映像、場所には当時の記憶が宿ります。見聴きするたびに記憶を思い起こす装置になります。それらはとても素晴らしいものであり素晴らしいことであります。ですがその一方、どうあがいても共感できないという事実も同時に引き連れてきます。

 

その切なさを歌ったのが今回ご紹介させていただく『R.I.P』でございます。

 

そこに君がいなかったこと そこに僕がいなかったこと

こんな当然を思うだけで 今がこれほど

 

シングルバージョンではこの歌詞から曲が始まります。

 

ダイナモの音 うねる坂道 憧れのギア いじっただれか

ざり釣り帰り 謎のサーチライト 始まり探し 迷ったら夜

 

ダイナモは手動発電機のことです。うねる坂道・憧れのギアから連想して自転車、ダイナモは自転車の前のライトのことだと思います。

ここの歌詞から、小学生が連想されました。

 

不思議が忘れるくらいあった

そのいくつかの魔法はもう解けてしまった

 

 

原理や理屈がわからなくて不思議で、まるで魔法のように見えていたけど大人になるにつれて様々なことを知っていき解明できて、魔法じゃなくなった

ともとれますし、

『記念撮影』で学生時代のことを“終わる魔法の中”ととらえていたことを踏まえると小学生の頃のこと自体を“魔法”ととらえているとみてもいけそうですね。

 

長靴は嫌い 傘は大好き 重ねたらほら これ秘密基地

自転車置き場 会いに通った しっぽの生えた内緒の友達

 

 

ちなみに僕は傘は嫌いでした。これも共感してもらえないし面白くもない過去です。

しっぽの生えた内緒の友達は猫です。

 

言えないことが今よりあった 寂しいのはなくしたからじゃない

 

小学生だから自分の気持ちが言葉に直せず“言えない“と表していると評するひとをお見かけしたことがあります。まぁ曲解釈なんて人それぞれなのでケチつけるもんじゃないんですけど、それよりも”秘密“”内緒“だから言えないのほうが前の歌詞を取り酌んでる感じがして好きです。

なくしたからじゃないならなんで寂しいの?の疑問を残して次に進みます。

 

そこに君がいなかったこと 分かち合えない遠い日のこと

こんな当然を思うだけで すぐに景色が滲むよ

 

 

はい、これが理由でした。サビ。

 

体温計でずるして早退 下箱に斜陽 溜息一つ

母の日の朝 父さんとシャベルでしっぽのついた友達の墓

 

 

下駄箱に斜陽?溜息一つ?なんだそれ?と思うかもしれません。

解決しません。私たちは共感できません。藤原さんの記憶なので。なので傘が好きなことに共感できなくても問題ないのです。

 

悲しいことは宝物になった

君もきっとそりゃもうたくさん持っているでしょう

 

 

悲しいことだって宝石になるし、宝石は高く浮かべて名前つけるし、星空は僕らが作るし、あの星も君のための舞台照明だし、なにかが変わったわけでもないけど、地球の上、地面は360度すべて道なのです。(脱線)

 

そこに僕がいなかったこと 今はそばにいられること

こんな当然を思うだけで 世界中が輝くよ

 

サビ②

 

同じもの見られたら それだけでいい

同じ気持ちじゃなくても それだけでいい

変わっていくのなら すべて見ておきたい

いなくなるなら いたこと知りたい

 

 

僕がいれなかった君の過去を僕も見たい(同じ場所時間にいたかった)

当時あなたが抱いた気持ちと今の僕が当時のそれを見たときに抱く気持ちが違ってもいい

見たい、超見たい、全部見ときたい てきな。

 

歌詞前半で、“あぁ~わかるわ~、子供の時のあるあるネタやな”と思わせつつ、

溜息一つとかよくわからんことも入れてくる。

世の中に何人の人が“母の日に父ちゃんとシャベルでしっぽのついた友達の墓作った思い出”あるだって話です。

無理です。共感できません。

そう、自分の思い出紹介して、「ね無理でしょ、同じように君の記憶も言ってくれる分には全然かまわないんだけど全然共感できないんだごめんね(だから見ておきたかったんだよ!!)」

そして

「え!?じゃぁ今一緒にいれるってすごくね?やばくね!?」

です。以上です。

 

 

 

はい、とまぁ

暇を持て余していつも以上に長く書きました。

R.I.Pの歌詞はまだ続きますが諸事情につきここまでです。

飽きたからです。

 

すごい、3600文字ですって。

軽くレポートやん。これは流行らんブログやわ。

 

駄文と 曲解釈に見せかけた感想。(Please)fogive

知らずのうちにようよう春めきたる外気に触発された。

 

 

普段の生活はまるで、大きな大きな塔の中のおよそ傾斜の感ぜられぬ螺旋階段を登っているかのようで「私は螺旋階段に居るんだ」という事前認識があればこそきっとおそらく登っているに違いないんだろうと思いこそすれども、登れている実感はままならぬような日々である。午前中に起床し出勤。仕事柄一日のほとんどを窓のない建物の中で過ごすゆえ、時計上で夕暮れを予感する事は出来ても体で夜を感じられるのは退勤してからである。そしてその頃には体感時間でも十二分に一日の終わりを認識できているので、夜の真新しさは微塵も感じられない。一日の端っこと端っこを見る事はできても、一日のなかの明るさや温度の少しずつの変化を体感する事はできない。

そんな折り、休みの日の昼下がり、ふと洗濯をしようと思い立った。

食器を洗うのは未使用の皿か箸がなくなってから、洗濯するのは未使用のパンツかユニフォームがなくなってからという怠慢な私の習性上、それらは「やばい!未使用のユニフォームが残り一枚だ!明日の勤務どうしよう!」という逼迫した状況に陥ってやっと行われることが多い。食器に関しては痺れを切らせた妻がしてくれる事が多いのだが、一方洗濯物となると仕事の都合上週の半分ほどは実家に帰らざるをえない妻のセンサーをかいくぐることが容易で、その容易さと比例して容易に溜まりに溜まっていくのである。であるからして、逼迫していればこそ深夜でもせざるをえぬという状況ゆえ騒音の罪悪感を覚えども洗濯は泣く泣く決行されるのである。すなわち、休みの日に時間があるからといえど日中に洗濯物をする事など、私の習性上滅多にない事なのである。

珍しく、日中に洗濯をする気になった。それに伴い、長い間干され続けている洗濯物を取り込むはめになった。怠慢な性格上、好き好んで洗濯物を取り込んだわけではない。洗い物を干す場所がなかったからよもや取り込まざるをえなかっただけである。

 

休みの日の昼下がり、ふと洗濯をしようと思い立った。

洗濯物を洗濯機にぶち込み数十分経ったのち、洗濯機が洗濯の終了をアラームで知らせた。

室内で洗濯しようと思い立ち、室内で洗濯機を回し、室内で洗い物をかごに入れ、干す段となりベランダに出た。

なんと春なことか。

寒くもなければ暑くもなく、風が吹けばひんやりとするものの至って不快感を覚えさせぬ外気温。日中に外に出る事が久しかった私には冬以降初めて体感した気温だった。

洗濯物を干す場所を確保しようと、干されていたタオルに触れた。

なんとも春なことか。

柔らかな日差しに包まれ暖められたタオルの優しき事。あぁ、このタオルが春なのだ。

蒲公英でも桜でもなく、このタオルこそ春を報せたのだ。

それは螺旋階段のさなか突如現れた塔の踊り場のようで、無機質な生活に季節を吹き込んだ。あぁ、やはり登れて居たのだと気づかせてくれた。安堵をもたらしてくれた。

 

知らずのうちにようよう春めきたる春に触発された。

 

悲しいようなうれしいような、泣きたくなるような浮き足立つような心持は人を駆り立てる。洗濯物を干した私は知らず知らずのうちに車の鍵を握っていた。職場で履く新しい靴を買いに行く事にした。

 

車内。窓を開け春を取り入れ、流すBGMはバンプ。RAY。『(Please)forgive』。

 

 

この記事は私小説に見せかけた日記に見せかけた『(Please)forgive』の僕なりの聞き方紹介である。

 

僕はこの曲をずっとリピートし続けた時期がある。

 

僕の前職は飲食店で、社員僕一人・残り全員学生アルバイトみたいな職場だった。

どれだけ仲良くなってもどれだけ話せるようになっても、学校卒業とともに職場も卒業していく。

ずっとみんなと働いていたい気持ちは強いけど、卒業は彼ら彼女らの晴れ舞台で、それぞれの新しいステージへの分岐点でもある。地元に帰ったり都会に出て行ったり、はたまた新しい土地で仕事に就いたり。みながそれぞれの場所での新しい生活に向け旅立っていく。それはとても喜ばしい事ではあるけれども、職場に残り続けるのは僕だけで皆いずれ旅立つ。みんなと一緒に働けず、僕だけが取り残される。

だから、いつかみんなが帰ってこられるように僕はここで仕事を続けよう、みんなと久しぶりにここで会えるように。

 

そう思いを切り替えそめた時期に、店が潰れる事が決まった。

卒業するでもなく皆が羽ばたく事になった。系列店に残るか、去るか。なんでこんなことになったんだろうと思っていた時期、店で一人で勤務しているときに聴いていた曲です。

 

読んでください。

聴いてください。

BUMP OF CHICKENで『(Please)fogive』

 

あなたを乗せた飛行機が あなたの行きたい場所まで

どうかあまり揺れないで 無事に着きますように

 

最近は別に元気じゃない それが平常で不満もない

生活に変化は求めない 現実とマンガは重ねない

 

いつまで続けるの 終わりがあるものなの

頭はずっと忙しく

 

心はずっと もうずっと

絶え間なく叫んで 私を叫んで

たとえ耳を塞いでも 聴こえてしまうんだ

ただ怖いだけなんだ 不自由じゃなくなるのが

守られていた事を 思い知らされるのが

 

自分で選んできたのに 選ばされたと思いたい

一歩も動いちゃいないのに ここがどこかさえ怪しい

 

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

せめて空は泣かないで 優しく晴れますように

 

どこまでごまかすの 誰に許されたいの

頭はきっと嘘をつく

 

心はきっと もっとずっと

遠くを見ていて 近くに見ていて

閉じたまぶたの裏側に 映してしまうんだ

まだ憧れちゃうんだ 自由と戦う日々を

性懲りもなく何度も 描いてしまうんだ

 

求めない 重ねない 望まない 筈がない

生きているから 生きているから

 

残酷な程自由だ 逃げようのない事実なんだ

震える手でその足で 全てを決めるんだ

絶え間なく叫んで あなたを見ていて

それを続けた心で あなたは選んだんだ

 

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

 

 

曲の最後、「あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで」のあと、

歌詞にはなっていませんが「ララララーラ ラーララー」と唄われています。

そこに全てが詰め込まれています。いろんな気持ちが、いろんな思いが、いろんな祈りが。

聴くごとに彩りを変える、とても不思議で、とても大切な曲です。

 

 

(どうか)許して

ガラスのブルース第2項目。

『話がしたいよの話がしたいよ』と同様、2部構成でお送りしております、申し訳ございません。

前回の振り返り、基いアクセス稼ぎとして前回のリンクを張っておきますので、まだ前回の投稿をご拝読頂いてない方はどうぞこちらの記事もお読みいただけたらと思います。どうぞよしなに。

haruzion55.hatenablog.com

 

 

 

では、歌詞解釈と参ります。

今回は歌詞の途中に自身の解釈を挟んでいくスタイルにしてみました。

至らない部分も多分にあると思いますが、「へぇこんなふうに読み取るバカもいるんだな」と、みなさまの解釈の一助になり得たならこれ幸いでございます。

 

 

ガラスの眼をした猫は唄うよ 大きな声で りんりんと

ガラスの眼をした猫は唄うよ 風にヒゲをゆらし りんりんと

何百回も繰り返し聴かれたBUMPマスターの皆々様におかれましては何の違和感もなく受け止めておられるやもしれませぬが、ツイ廃ではない私でさえ「ちょっと待って」と言いたい箇所がもうすでにございます。

ちょっと待って猫ってりんりんって鳴くの!?

どう考えてもニャーンです。100歩譲ってもにゃんにゃん。アメリカ人でもmeowです。どう聞き間違えても「りんりん」にはならないように感じます。

“ガラスの目”ってのはまぁたとえとして受け止められますよね。ガラスのような眼って事ですよね。瞳。で、その猫が唄ってます。りんりんと。

 

りんりん?猫が??

 

ここで私には2つの候補が浮かびました。

・はい、りんりんは猫の鳴き声のことです。

・いいえ、りんりんは猫の鳴き声ではありません。

もし、『はい、りんりんは猫の鳴き声のことです。』なのであれば、文末についている“と”は「チャマはヒデちゃんに向かって言った、付き合ってくださいと」と同じ“と”で、

『いいえ、りんりんは猫の鳴き声ではありません。』なのであれば、「ヒデちゃんはチャマに向かって微笑んだ、ニヤニヤと」と同じ“と”になります。

この“と”をどう捉えるかは、述語が“唄う”であることがヒントになります。

その答えは、曲が終わる頃解き明かされます。今はまだわからないまま、先に進むことにしましょう。

ネタを小出しにして読者を引きつける作戦です。気になる人はこの後もお読み下さいヒッヒッヒ。

 

声が枯れたなら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう

 

この部分を、

“声が枯れたから川に行って水を飲んだ”と捉えている人がいるかもしれません。

もちろん喉を潤したのも事実でしょうが、ここで大切なのは喉を潤した事よりも「顔をなめ」た事です。視覚的に客観的に、目の前にいるヤツの顔をなめたのです。“目の前にいるヤツ”って、詰まるところ自分自身な訳ですけど、“自分で自分をなめた”ってよりは“自分がなめたヤツが自分だっただけ”の方が近いと思います。

「顔をなめ」るのが良い意味で使われているのかマイナスの意味で使われているのかはこの後を読めばわかります。

 

昨日よりマシな 飯が食えたなら

今日はいい日だったと 空を見上げて笑いとばしてやる

(「藤くんのカタカナには比喩やダブルミーニングが隠されてるだ!」論者って、ここでもダブルミーニングだと思ってるんですか?思ってないとしたら例外生まれてますけどそれで妥協していいんですか??どうなんですか????)

 

・『“声が枯れた”なら』

・「“昨日よりマシな飯が食えた”なら」

の対比です。

“声が枯れた”の後に来る“顔をなめ”るが良い意味なのかマイナスの意味なのかは、対比の先を見ればわかります。「空を見上げて笑い飛ばしてやる」。

 

「笑っちゃうぜ」ならまだしも、「笑い飛ばして“やる”」

“やる”という言葉は、明確な意思の言葉であり、しなくてもしなくてもいいことをわざわざ行動する言葉です。

例:『チャマになにかあったならオレ(ヒデちゃん)が守ってやる!』

わざわざ「笑い飛ば」すのだから、目的語は“ないほうが良い事”です。

チャマにはなにもない方がいいんです。でもあってしまうんです。だから守ってやるんです。

猫にも、“それ”はない方がいいんです。でもあってしまうんです。だから笑い飛ばしてやるんです。

 

「笑い飛ばしてやる」。この言葉からあなたが感じたニュアンスが、「顔をなめ」るの意味です。

 

僕は けなげさ・いじっぱり・(弱さの裏返しの)強がり、でした。

だからそのあとの

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

ああ 僕はいつも 力強く生きているよ

が、めちゃめちゃ響きました。Toマイハート。

力強く生きている感じがしました。

 

 

ガラスの眼をした猫は唄うよ お腹が空いても りんりんと

ガラスの眼をした猫は唄うよ 生きてる証拠を りんりんと

ガラスの眼をした猫は叫ぶよ 短い命を りんりんと

ガラスの眼をした猫は叫ぶよ 大切な今を りんりんと

また出ました、「りんりんと」。

はじめのところより強い言葉が「りんりん」と書かれています。「短い命」「大切な今を」。

それに呼応して、「唄う」から「叫ぶ」に変わります。より切実さが増す気がします。

「唄う」と「叫ぶ」は強弱は違えど同じジャンルの言葉(同じグループの言葉)として用いられている事がわかります。

 

生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけないよ

嵐が来ようが 雨が降ろうが

いつでも全力で 空を見上げて笑いとばしてやる

中二病的な“生まれてきた意味”とか“何のために生きてるんだろう”からのコペルニクス的転換、“いいや違う、「生まれて来た事」こそに「意味がある」”という歌詞。「生まれて来た事に意味がある」んだから、今生きてる一秒一秒に意味が無いわけがない。純粋に「ええ歌詞やん」って思います。

猫にとっての「嵐」や「雨」は僕らにとっての何になるんでしょう。そして僕らは「嵐」や「雨」」の時、この猫のように笑い飛ばせるでしょうか。そうなれるように生きていこうぜと鼓舞しているようにも感じとれました。

そして「マシな飯が食えたら」とかじゃなく、「いつでも」フルパワーで笑い飛ばします。

 

ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる

ああ その日まで 精いっぱい歌を唄う

「空にきらめく星」は言わずもがな、命が終わった時でしょう。

それまで、「その日まで」、「精いっぱい」「歌を唄う」

もう、猫じゃなくて藤原基央が見えます。もう藤くんがギターを掲げています(幻視)

 

声が枯れたなら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう

生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃイケナイ

だから僕は歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ

僕はイマをサケブよ 

前回の記事で書いた、『以前と異なるメロディーでの歌詞の引用』の部分です。すなわち、歌詞が繰り返されている部分。

 

ところで、高校の頃のセンター試験対策として、英文の“Butの後には筆者の伝えたい事が書かれている”というワンポイント攻略を教わった人も多いのではないのでしょうか。

同様に現代文では、“だからの後には筆者の意思が記されている”ということを学んだ方も多いのではないかと思います。

そうです、歌詞とはいえ文章です。“ だからの後には筆者の意思が記されている”と見なしてなんら問題はないはずです。

「僕は歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ」

四畳半の一室から望遠鏡で砂漠の中の一粒を見つけるような作業の中で書き記した歌詞です、“書きたい事“がないわけがありません。とするなら、書きたい事を繰り返し記した方が強い歌詞になると思うのは至極真っ当な思考ではありませんか。すなわち、楽曲において繰り返されている言葉というのは、その楽曲において作者が書きたいと思っている部分と捉えるのもまた至極真っ当な解釈ではないでしょうか。繰り返される「僕はいつも歌を唄うよ」「僕はいつも歌を唄うよ」

繰り返されたのち、放たれるとどめの一撃。

 

「僕はイマをサケブよ」

 

僕はここを聞くと、

名曲、桑田佳祐の『白い恋人達』を思い出します。

Ah,ah, 永遠のWhite Love

My Love

 

ただ逢いたくて

もうせつなくて

恋しくて..

 

曲終盤でサビが繰り替えされたのち溜めに溜めて放たれる「涙」

あふれる思いを押しとどめて押しとどめて、風船が破裂するようにダムが決壊するように張り裂ける思い。

「僕はイマをサケブよ」

 

ガラスの眼を持つ猫は星になったよ 大きな声も止まったよ

命のカケラも燃やし尽くしてしまったね 得意のブルースも聴けないね

 

どうでもいいんですけど、ブルースって聞いた事あります?

専門家でもなれば細分化された音楽ジャンルを正しく分類化することは出来ないように思うのですが、ここで使われてるブルースって、厳密に細分化されたジャンルとしてのブルースじゃなくて、イメージ・概念としてのブルースと捉えた方が良いと思うんですけどどうでしょう。

ブルースってなんぞ??っていう人はグーグル大先生に聞いてみてくださいね。

 

だけどオマエのそのブルースは 皆の心の中に刻まれた

これからツライ事がもしあったなら 皆は唄いだす

ガラスの眼を持つ 猫を思い出して

空を見上げて ガラスのブルース

猫が唄っていた歌が、周りに影響を与え、皆が唄い出す。ガラスのブルースを。

皆は、イマを唄った猫の姿を脳裏に浮かべ空を見上げてガラスのブルースを唄う。

猫は『空を見上げて』『笑い飛ば』す。

皆は『空を見上げて』『唄』・いだす。

猫って空にきらめく星になりましたよね。

空にいる猫に向けて唄っているというのは邪推でしょうか。

 

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

ああ 僕はいつも 力強く生きているよ

ああ 僕の前に クラヤミがたちこめても

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

「僕」は「皆」の中の一人でしょう。

「皆」を先に言っているので。「僕」が『僕ら』というふうにも聞こえてきます。

 

自分への決意にも聞こえ、空にいる猫への決意にも聞こえます。

 

 

 

猫にとって「唄う」ことは「叫ぶ」ことであり「サケブ」ことでした。

そして「サケ」んでいたのは「イマ」でした。

すなわち「唄」っていたのも「イマ」でした。

述語:「唄う」の目的語は「イマ」でした。

「りんりんと」。

 

 

ガラスの眼をした猫は大きな声でイマをりんりんと唄っていました。

 

凜々と。

 

 

以上です。

ご拝読ありがとうございました。

ガラスのブルース 歌詞解釈その前に。

今回はBUMP OF CHICKENの『ガラスのブルース』という楽曲の歌詞についての話がしたいと思います。割とちゃんと書こうと思っているので膨大な文章になると思います。できれば最後までお付き合いください。

歌詞のお話をしていくのに歌詞がわからないままだと僕がつべこべ言っても仕方ないので皆さんもつべこべ言わず歌詞を見てください。

 

 

ガラスのブルース

 

ガラスの眼をした猫は唄うよ 大きな声で りんりんと

ガラスの眼をした猫は唄うよ 風にヒゲをゆらし りんりんと

 

声が枯れたなら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう

昨日よりマシな 飯が食えたなら

今日はいい日だったと 空を見上げて笑いとばしてやる

 

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

ああ 僕はいつも 力強く生きているよ

 

ガラスの眼をした猫は唄うよ お腹が空いても りんりんと

ガラスの眼をした猫は唄うよ 生きてる証拠を りんりんと

ガラスの眼をした猫は叫ぶよ 短い命を りんりんと

ガラスの眼をした猫は叫ぶよ 大切な今を りんりんと

 

生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけないよ

嵐が来ようが 雨が降ろうが

いつでも全力で 空を見上げて笑いとばしてやる

 

ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる

ああ その日まで 精いっぱい歌を唄う

 

声が枯れたなら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう

生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃイケナイ

だから僕は歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ 僕はいつも歌を唄うよ

僕はイマをサケブよ

 

ガラスの眼を持つ猫は星になったよ 大きな声も止まったよ

命のカケラも燃やし尽くしてしまったね 得意のブルースも聴けないね

 

だけどオマエのそのブルースは 皆の心の中に刻まれた

これからツライ事がもしあったなら 皆は唄いだす

ガラスの眼を持つ 猫を思い出して

空を見上げて ガラスのブルース

 

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

ああ 僕はいつも 力強く生きているよ

ああ 僕の前に クラヤミがたちこめても

ああ 僕はいつも 精いっぱい歌を唄う

 

 

まずこの楽曲について一つ強調してお伝えしておきたいことは!バンプのボーカル藤原基央(以下藤くん)がこの曲を作ったときの齢!!なんと16歳!!!

そして藤くんが初めて日本語で作詞した楽曲!!初めてでこれってどういうこと!!

木村拓哉もびっくりのチョマテヨ具合!ツイ廃じゃなくいたって言いたくなる「ちょっと待って!!」

誤解を恐れずいうなら頭おかしい!

 

 

・・・

 

 

  • 圧倒的源流

この曲は1995年に作られました。今から24年も前です。

現在の視点からこの曲を見たとき、

「この曲は藤くんの作詞の『源流』のひとつである」、と言う事が出来ます。

 

一部の記事では、初めて日本語で作られた曲であること・アルバム一曲目ということなどが相まって、この曲はバンプの“原点”だと表現されてたりします。わからなくもないと思います。僕もはじめは原点と書こうとしていました。この曲以降現在に至るまでの間に藤原基央その人から生まれ出てきた楽曲の多くに『ガラスのブルース』のエッセンスが含まれているからです。しかし、よくよく考えると“原点”という表現よりも“源流”という表現の方がしっくりくるなと思いました。点というよりも、そこから脈々と続いている水流・源泉、というニュアンスを含めたかったからです。ゆえに“源流”という言葉を選びました。

 

では具体的に歌詞を取り上げつつ、源流たるゆえんを釈明します。

これまでのバンプの楽曲の歌詞をある程度知ってる人向けの内容になってしまう事をご容赦ください。

 

 

◎単語・語句の共通

この曲の歌詞に使われている単語・語句の多くがこの曲以降にリリースされる楽曲の歌詞にも頻繁に用いられています。

その点で、同じ脈流に沿っていると見なしていいように思います。

 

ガラス→ガラス玉『カルマ』『リボン』

 

猫→『K』『fire sign

 

水に写る顔→水筒に写る自分の顔『Stage of the ground』→水筒って便利だ『セントエルモの火

 

証拠→証拠『sailing day』→証『孤独の合唱』『シリウス

 

嵐→『sailing day』『ファイター』『リボン』『望遠のマーチ』

 

雨→『天体観測』『fire sign』『arrows』『HAPPY』『宇宙飛行士への手紙』『ウェザーリポート』『虹を待つ人』『ゼロ』『コロニー』『ファイター』『宝石になった日』『アンサー』『Spica』

 

星→『天体観測』『Stage of the ground』『プラネタリウム』『angel fall』『サザンクロス』『ray』

 

空→『涙のふるさと』『真っ赤な空を見ただろうか』『宇宙飛行士への手紙』『トーチ』『GO』『流星群』『記念撮影』『話がしたいよ』

 

イマ→『天体観測』

 

 一部、語句は違っても意味でつながりがあるものや、逆に意味のつながりは薄い同じ語句もあげておりますが、

おおざっぱにみると言葉だけでもこれだけの派生が生まれてます。

これが全てでもないだろうし抜けもあるかもしれませんが、十分に共通項と見なせる部分はあると思います。

 

むしろ、単語の字面での共通より、

○水に写る顔→水筒に写る自分の顔→水筒って便利だ

の流れや、

○ガラスの眼(丸くて透明でキラキラした丸いもの)→“ガラス玉” “星” “光”“飴玉”

という言葉の連想、

○生きてる証拠を唄う→メロディーフラッグ、小さな虫だって自分の唄は覚えてんだからさ(『ナイフ』)

等の言い回しの多様化、

○猫は死んだけど星になる→心が宝石を生むたびに高く浮かべて名前つけた(『GO』)

                           →あの月もあの星も全て君のための舞台照明(『Stage of the ground』)

などの類似表現

 

このあたりの“思想としての流動性”のほうが源流感を感じてもらいやすいかもしれません。

 

 

◎作詞のしかた

ガラスのブルース』って源流だと思うんだ、なんでかっていうとね、、、というお話の続きです。作詞の仕方。

 

ガラスのブルース』の構成は、

一番

Aメロ

Bメロ

サビ

 

二番

Aメロ

A‘メロ

Bメロ

サビ

 Cメロ(?)

 

Dメロ(?)

 

Bメロ

サビ

サビ

 

となっております。

注目していただきたいのは

Cメロ(?)のところです。

ここの歌詞は

一番Bメロの一行目「声が枯れたら川に行こう 水に写る顔をなめてやろう」と

二番Bメロの一行目「生まれて来た事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけない(よ)」

が使い回されてます。セルフ引用。単に繰り返されているのではなく、曲調が違うところに用いられています。しかも一番と二番の同じ場所から抜き出している、というところがポイントです。普通、同じ歌詞を繰り返すとき、大抵メロディーも同じ状態で繰り返します。

そこをあえて違うメロディーにしている。ただ作詞の手を抜くために繰り返しているのではなく、意味を持たせるために意図的に繰り返している事がわかります。

なぜこの手法を“源流とみなす”かというと、以降の楽曲でもこの方法(違うメロディでのセルフ引用)が散見されるからです。

 

直近の曲でいうと『シリウス』でも見られます。

シリウス』の場合さらにややこしいセルフ引用がなされているのでドエライことになってます。詳しくは検索してみてください。

 

これのせいで歌詞を覚えるときにごっちゃごちゃになるからちょっと大変。

 

 

◎Cメロ(?)のはてなマーク

 

なぜはてなマークをつけたのか。

理由は至って簡単。Cメロなのかわからんからです。

正式には決まっているのかもしれません。そのあたり、調べ尽くしてる訳ではないので正解がわからないのですが、

Cメロとも捉えれるし、サビとも捉えれるのです。

この部分をサビと見なすなら、ここ以外のサビのところは実はCメロで、ここが唯一のサビとも見なすことができてしまい、「あれ?一番どっからどこまで?二番どっから??ていうか一番とかいう概念ある??」みたいな感じになります。

銀河鉄道』『arrows』『pinkie』『セントエルモの火

ぱっと聴いただけだとサビどこかわからん感じ、ていうか形式が自由すぎる。

 

CHAGE&ASKAのサビが「やーやーやーやーやーやーやー」だけの曲を皆さんご存じだと思いますが、

バンプにも(歌詞カードできには)「ラララ」だけの曲があったりするんです。

自由度高め。

ガラスのブルース』にもその片鱗が確認できます。

以上の「詞と曲の組み合わせ」という観点から見ても、以降の楽曲の基になる部分を感じることは出来るのではないのでしょうか。

 

 

◎終わりを見据える視点

「ああ 僕はいつか 空にきらめく星になる」

 

「終わりまであなたといたい」(『ゼロ』)

「死なない神様 負けない 祈らない」(『飴玉の唄』)

「歳を数えてみると 気づくんだ 些細でも歴史を持っていた事(中略)それにも終わりが来るって事」(『supernova』)

 

終わりを見据えると言っても、唄ってるのはイマのこと。終わりを見据えているからこそ、イマを強く意識していることを強調させる藤くんの作詞方法。作詞方法っていうか思考回路なんでしょうけど。

とっても日本的な価値観ですよね、これ。

花は枯れるから美しい、的な。儚さ、失う事の切なさ、的な。

だからこそ今生きてることに焦点がいくという。

 

 

 

上記の4つの◎の項目、これ以降の楽曲にで散見される“あるあるネタ”がいっぱいあるね・つながってるねって事です。

 

これらの項目を鑑み、『ガラスのブルース』はBUMP OF CHICKENの源流と言っても過言ではないのではないか、ということを述べさせていただきました。

 

 

  • 歌詞の中身について

 

さ・て。

 

このブログでは“歌詞を文字のまま読み拾うことで過不足無く解釈をしていこう”と言う事を主題としておりますので、

歌詞を見て歌詞解釈をしていきましょうか。

 

 

 

と、思いましたがあまりに長いので別であげます。

またしても途中で断念。

もう3年も経ったのかと思ったことに関する考察。

 

BUMP OF CHICKENが結成20周年を迎えたことがついこの間の事のような気がしていたのに、なんと昨日2月11日で23周年を迎えたらしい。知らぬ間に3年も月日が流れていたようである。

 

バンプの周年ついて」で限定してしまうと人の共感を得るのは難しいのかもしれないが、一般的な事物に対して「もうこんなに月日が流れていたのか」と感じた事のある人は少なくないのではなかろうか。

なにせ2019年が始まってもうすでに一ヶ月が経過していて、2月ももうそろそろ半ばを迎えようとしているのである。なんて早さだと思いやしないだろうか。

 

子供だった頃、時間が経つのはこんなにも早かっただろうかとふと考える。

 

 

行くのしぶりながら朝のラジオ体操、プールは補習というより遊び場でその後は友達と運動場でかけっこ。お昼はだいたい焼きうどんかチャーハンで夕方まで友達とかくれんぼおにごっこキックベース、家に帰ってお母さんの作った夕ご飯を食べ終わった頃、テレビの前で『学校へ行こう!』の未成年の主張。終わったら家族順番にお風呂に入って、なんとなく今日一日の終わりを感じる夜10時。土曜日は特別、姉ちゃんは『夜の空騒ぎ』見て僕はこっそり自室でゲーム。気づけば寝ててまたラジオ体操いやいや。

 

 

いや、どう考えても昔より時間が早く進んでいる気がする。

 

 

この、「歳をとるにつれて、より時間が早く進む」現象について、僕なりの案が思い浮かんだので黙って読んでください。

 

 

 

みなさんは大人になってから自分が通っていた幼稚園保育園に行った経験がありますか。

小学校でもいいです。

ない人は是非とも行ってみてください。

運動場が狭いんです。昔より。

 

あんなにかけまわってた運動場が。

 

 

僕たちは大人になるにつれて行動範囲が広くなります。

子供の頃は家の近くの広場や道路が遊び場で、中学校高校のころは少し遠出をするようになり、大人になるとより遠くへ移動できるようになる。つまり自分のテリトリー・行動範囲が広がるんです。

昔広場へ行っていた感覚で隣町までいけるようになり、そしてその感覚で隣接する都道府県まで行くようになる。

僕はその理由を“移動の一単位”が広くなったからだと思いました。

子供の頃は近くの広場までが一単位、高校のころには隣までが一単位。

どちらもそのときの自分には同じ一単位なのです。

 

 

 

時間。

 

 

小学校のころは1コマ45分の授業さえ苦痛だったとに、大学生では1コマ90分。

どちらもそのときの自分には同じ1コマ。

つまり一単位が倍の時間になってるので、大学生では小学生の頃より時間が倍の速さに感じてしまうんじゃないかって思いました。

 

7歳から19歳の12年、ちょうど干支一周で倍。

生まれてから何年経った?

 

いま、何倍になってる?

法律と道徳・倫理

どこが中心か、どこが端っこか、

どっちが上でどっちがしたかわからない。

広い広い、どこまでも真っ暗が広がる空間 宇宙

 

途方もない空間のどのあたりかわからない場所に

たぶん一つだけのいきものが住む小さな星 地球

 

45億歳の地球。

誰もいない何もない恒久のの長い時間の中で海ができ大陸ができた。

奇跡とも呼べるほんのちょっとの偶然で単細胞生物が生まれ、長い時間をかけてその源泉は様々に枝分かれしていった。

いきものがそれぞれの環境にあわせて進化していった。

海にいきるさかな、4本足で草原を走る動物、森林で咲く色とりどりの植物、空を翔ける鳥。

多種多様な植物動物昆虫細菌が生まれた。

 

想像してほしい。

小さな小さな星の、見渡す限り草原が広がる広大な大地の上に2本の足ですっくと立つ、ひと。

地球に誕生したひと、生態系の中のひと、地球に生きる生物ひと。

【君が立つ地面は ホラ 360度全て道なんだ】

 

その“ひと”はなにかルールに縛られているだろうか。

なにかルールはその“ひと”を縛りうるだろうか。

 

 

その“ひと”に“してはいけないこと”はないはずだ。

その“ひと”と僕らは違う生き物だろうか。

 

僕は思う。

この世界に“絶対にしてはいけないこと”なんかない。

守るべきルールなんていうものはない。

そして誰かをルールで縛ることもできるわけがない。

 

僕らは、自由だ・・・!

 

 

 

 

はい、ポエマーえだまめ大爆発。

こんなことを書いちゃった恥ずかしさで向こう3日間は顔真っ赤にして過ごしてると思います。リンゴちゃんって呼んでください。

冗談です。

 

 

自分の頭の中にある脳内空間の中を、書きたいと思う内容がぐるぐる飛んでるんですよ。

あぁこんな内容で書きたいな、あぁそんな内容も書きたいなって。

じゃあいざこういうテーマで書こうかしらんと神妙なオモモチでパソコンの前にちょこなんと座ってみたのに、指がピクリとも動かないってことが頻繁にあるんです。文章を書くって能力・チカラがないくせに書きたい想いだけが頭でっかちに先走るせいで一歩目がでない状態。

頭身あってない頭でっかちの巨人、たぶん5m級の巨人が勢いだけで走ろうとしてる状況を思い浮かべてごらんなさい。キモいでしょ。そういう状態。いぇぇぇぇぇがぁぁぁぁぁぁぁ。

 

なにか投稿書くとき、すーっと本題に入れる時もあるんです。そういう時は大概、軽い話題だったりちょっと思い浮かんだようなことだったりします。そしてそういう時は大概、鼻くそホジホジしながら書いてます。ホジホジ記事です。

ところがどっこい、まぁまぁヘビーな話題になったりするとちょっとマクラを挟まないとしんどいな・マクラ挟みたいなって思うことがあるんですね。

今回、後者だったわけですが全然しっくりくるマクラが思い浮かばなかったの。マクラの高さあってなくて寝れない!状態。そんなときにうっかりバンプの「Stage of the ground」なんか聴いちゃったもんですからこんな感じのマクラになってしまって、かつ確かに書けたはいいけどまぁまぁ恥ずかしいぞこれ、って思ったからこうして長々といいわけ講釈をたれたわけです。てへぺろ

途中の引用はこの曲です。とってもかっこいいのでみんな聴くべき。

 

 

 

 

『法律と道徳・倫理』。

 

時々、「法律で決まってることだから!」というような考えの人と出会います。

法律のことを「守るべきルール」というように捉えてる人。

“法律で決まってるから制限時速を超えて走ってはいけない”

“法律で決まってるから体罰をしてはいけない”

“法律で決まってるから人を殺してはいけない”

 

 

 

その考え方、嫌いじゃないですけど賛同できません。

 

うんこポエムのなかでも書きましたが、

もともと世界に“してはいけないこと”なんかありません。

 

 

法律に載っていることだって、別に“してはいけないこと”ではありません。

別に全然やっちゃっていいんです。

やっちゃえ日産だってやっちゃったんですYAZAWAさん。

どうぞ、ご自由に。レッツゴーン。いっちゃった。

 

僕らは法律に思想を強制されるべきではありません。

やりたいことはやっていいんです。

 

 

さぁ、法律から解き放たれなさい!

 

 

 

とまぁこんなことを書くと“おまえイタい奴だな”とお思いかもしれません。

もうちょっと我慢して読んでください。

 

 

みなさまに強調したいのは、

「法律できまってるからやっちゃいけない」じゃない!

というとこです。

 

 

法律は、“やっちゃうと罰を与えられる行動”と“与えられる罰”が書かれているに過ぎません。

“やっていいか”“やっちゃいけないか”を決めるのは自分の心

です。

 

「法律できまってるからやっちゃいけない」論者は

ともすれば「法律できまってないことは(なんでも)やっていい」論者になりえます。

 

法律で裁かれないから学校で同級生をいじめてもいい

法律で裁かれないから職場の部下の悪口を広めてもいい

 

 

違います。

なにをしていいか・なにをしてはいけないかは自分の心で決めるんです。

 

法律があるから人を殺してはいけないのではありません

罰を与えられるから人を殺してはいけないのではありません

 

人を殺すと悲しむ人がいるから殺してはいけないのです。

いじめてはいけないのは悲しむ人がいるからです。

悪口を広めてはいけないのは悲しむ人がいるからです。

 

悲しむ人、それが相手なのか、自分なのか、相手の家族なのか、自分の家族なのか、友達なのか恋人なのか、先輩なのか後輩なのか、それはわかりません。

 

ですが自分を愛している家族はどう感じるでしょうか、自分を頼りにしてる上司はどう感じるでしょうか、自分を慕う後輩はどう感じるでしょうか。

 

それに気づけるか。

 

 

理解していただきやすくするために“一般的に悪いとみなされること”を具体例にあげましたが、それだけに当てはまるものではありません。

 

聖職者として長時間労働を強いられている人も、体を壊してしまうのであれば、それで悲しむ人がいるなら、それに気づいたなら、それはあなたにとって“してはいけないこと”です。

風俗で働いている人も、それで悲しむ人がいるなら、それに気づいたなら、それはあなたにとって“してはいけないこと”です。

 

仕事に良い悪いはありません。僻む必要もありませんし卑下する必要もありませんし、他人様の職に対してああだこうだいう資格は誰にもありません。

 

全ての判断基準は自分の心です。

 

善し悪しを決めるのも、その上でどう行動するかも。

 

 

よりよい判断をできるように、

ハートを磨くっきゃない

アルバム(カップリング集・ベスト盤除く)とその収録曲。

 

いろいろ雑ネタも書いてるんで

「アルバム書くだけで記事数稼いでんじゃねえよ」

「アルバム全部もってるからキョーミねぇわ」

って人も一応軽く目を通してみてほしいです。

 

 

アルバムの話に入る前にちょっとだけバンプについて紹介。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

BUMP OF CHICKENは4人組です。

藤原基央(フジくん) ボーカル・ギター

増川弘明(ヒロ) ギター

直井由文(チャマ) ベース

升 秀夫(ヒデちゃん) ドラム

 

全員1979年度の生まれの同い年・みんな同じ学年です。

地元は千葉県佐倉市。幼なじみ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

下記、アルバム毎の収録曲の紹介です。

リリース時の学年単位の年齢も記述してます。

自分がその年齢の時、それらの楽曲を作り得たかも考えつつご覧ください。

 

 

 

 

1枚目19歳 FLAME VEIN

ガラスのブルース

くだらない唄

アルエ

リトルブレイバー

ノーヒットノーラン

とっておきの唄

ナイフ

(バトルクライ)

 

 

8曲。

veinは静脈を意味する英単語。

(「FLAME VEIN」を一枚目とするかどうかは意見が分かれると思いますがこれでゆるしてください。)

 

 

 

 

2枚目20歳 THE LIVING DEAD

Opening

グングニル

ベストピクチャー

続・くだらない唄

LAMP

K

リリィ

Ever lasting lie

グロリアスレボリューション

Ending

 

 

10曲。

「Opening」と「Ending」が対になった構造。歌詞あり。

名誉革命の英訳はglorious revolution

レボリューーーション!!!

 

 

 

 

3枚目22歳 jupiter

Stage Of The Ground

天体観測

Title Of Mine

キャッチボール

ハルジオン

ベンチとコーヒー

メロディーフラッグ

ベル

ダイヤモンド

ダンデライオン

 

 

10曲。

Jupiterは木星

大正義・天体観測。

改めて曲目見て、改めてこのアルバムのえげつなさを実感。22歳ってまじか。

 

 

 

 

4枚目25歳 ユグドラシル

asgard

オンリーロンリーグローリー

乗車権

ギルド

embrace

sailing day

同じドアをくぐれたら

車輪の唄

スノースマイル

レム

fire sign

太陽

ロストマン

midgard

 

 

14曲。

「asgard」と「midgard」は対になったインスト。

ユグドラシル・・・北欧神話に出てくる、世界の木

アスガード・・・・北欧神話に出てくる、神々の住む領域の名前

ミッドガード・・・北欧神話に出てくる、人間が住む領域の名前

 

 

 

 

5枚目28歳 orbital period

voyager

星の鳥

メーデー

才悩人応援歌

プラネタリウム

supernova

ハンマーソングと痛みの塔

時空かくれんぼ

かさぶたぶたぶ

花の名

ひとりごと

飴玉の唄

星の鳥 reprise

カルマ

arrows

涙のふるさと

Flyby

 

 

17曲。

「voyager」と「Flyby」は対になった楽曲。歌詞あり。

ボイジャーとは・・・

  宇宙探査機の名前。1号と2号がある。

  1号は、

  1977年9月5日に打ち上げられ、

  1979年3月5日に木星(jupiter)をflyby、

  2012年8月25日に太陽系外に飛び出した。

  2013年9月6日の段階で秒速17.0km。

フライバイとは・・・

  探査機が星に最接近して着地せず通過すること。もう一生近づくことはない。

「星の鳥」と「星の鳥 reprise」は対になったインスト。

 

 

 

 

6枚目31歳 COSMONAUT

三ツ星カルテット

R.I.P

ウェザーリポート

分別奮闘記

モーターサイクル

透明飛行船

魔法の料理~君から君へ~

HAPPY

66号線

セントエルモの火

angel fall

宇宙飛行士への手紙

イノセント

beautiful glider

 

 

14曲。

インストなし。

cosmo・・・・宇宙を意味するラテン語の接頭辞

naut・・・・・航行者を意味する英語の接尾辞

実は本来、宇宙飛行士を英語にするとastronaut。

音符や譜を意味するノートはnote。

 

 

 

 

7枚目34歳 RAY

WILL

虹を待つ人

ray

サザンクロス

ラストワン

morning glow

ゼロ

トーチ

Smile

firefly

white note

友達の唄

(please) forgive

グッドラック

 

 

14曲。

「WILL」はインスト。

 

 

 

 

 

8枚目36歳 Butterflies

GO

Hello,world!

Butterfly

流星群

宝石になった日

コロニー

パレード

大我慢大会

孤独の合唱

You were here

ファイター

 

 

11曲。

インスト無し。

butterflyは蝶を意味する英単語。

butterfliesは蝶を意味する英単語の複数形。