そろそろBUMPの話がしたいよ

前回の記事(ブロガーという言葉。 - haruzion55のブログ)のフラグをぶち折り、無事に三日坊主に昇格できました。これまでの”3日間”という長い道のりの中、つらい時もありました、幾度となく心が折れそうにもなりました。しかしそんなときにはいつも、みなさんからの暖かいハゲましの声、応援、エールに支えられました。今日ここまで歩むことができたのもみなさんのおかげです。ありがとうございます。

えだまめの三日坊主物語はここで終わります。次回作にご期待ください。

 

完。

 

 

 

そんなことはどうでもいいんですけど、そろそろBUMP OF CHICKENの話をしたいなと思う今日この頃、みなさんお元気ですか?

 

わたくしBUMP OF CHICKENというバンドが大好きでございまして、大好きなBUMP OF CHICKENというバンドについて誰かとお話がしたいと常日頃から思っているのでございますが生憎わたくしのまわりにはわたくしと語らってくれる物好きなかたがいらっしゃらないのです。物好きな君がここにいたら、君がここにいたら、話がしたい、と思っているんですけどいないんでブログで垂れ流そうって魂胆でございます。

(BUMP OF CHICKENって打つの面倒になってきたのでバンプって書かせてください。)

 

 

さて、この記事のタイトル「そろそろBUMPの話がしたいよ」なんですけど実はこの記事ではまだバンプについて書きません。

別に引っ張ってるわけじゃないです。そもそも引っ張るほど大した文章は書けません

 

 

 

これからバンプの楽曲の歌詞考察・歌詞解釈をいくつか書いていきたいなと思っているんですが、

みなさんには、それらをわたくしがどんなスタンスで書いていくかということを知っていていただきたいなと思うんです。

 


バンプの歌詞って、一回聞いただけじゃあんまりわからん・何回聞いてもあんまりわからんっていう難解な曲とかもあるんですよ。
ん?どういうこと?っていう。
そんな時わたくしは、ほかの人たちがどんなふうに感じ取ってるのか・解釈してるのかをネットで検索したりします。

みなさんの中にもそうする人もいるかもしれません。

そういうページによくあるのが、バンプを愛しすぎているゆえにあまりにも跳躍した超訳解釈をしなおかつそれが正しいこの曲はこういう曲なんだこういうことを歌ってるんだと豪語する記事。そしてそれを「深いです!」と称賛するコメント。
“確かにそういうふうにも受け取れるよね”という範疇をはるかに凌駕する解釈。
解釈、基い妄想。
大妄想大会。

“あまりにも跳躍した超訳解釈”に関しては感じた人それぞれのものだと思うので、とやかく言うところじゃないのかもしれません。バンプのボーカルの藤原基央さん(以降愛と敬意をもって藤くんと書きます)もインタビューでよく、
僕らの音楽は、みんなのところに届いたらもうそれはみんなのものです
的なことを言ってます。その言葉を最重視するなら、他人様の感じ方にとやかく言うのはおかしな話なのかもしれません。

でもそれってちょっとおかしくない??って思うんです。

例えば、リンゴ。
同じリンゴでも人によって
「おいしい」「まずい」「好き」「嫌い」「きれいな赤」「血のような赤」「甘い」「酸っぱい」「苦い」「リンゴを見ると初恋の人を思い出すからつらい」「知識の象徴」「そういえばなくなった祖母が好きだったな、懐かしい」
とか、“感じ方”は人それぞれだと思いますが、
「いいえ、これはみかんです」
って言っちゃうのは“事実誤認”以外の何物でもないでしょ。
それを藤くんの“みんなのもの”の気持ちを盾にして主張するのは、ちょっとおかしくない??


と、思います。


ので、スタンスとしては
・書かれている言葉のみを誠実に拾う
・行間については人それぞれ
・“ぼくはこう感じました!”という範疇の話なので結局自己満

という形になります。

決して「この曲のこの部分がわからないのかい?これはね、こういう意味なんだよ?」という教科書的なものではないので、
「ほーん、そういうふうに感じる人もいるんやなぁ」の参考書程度にみていただけたらなぁと思います。

 


では、次回以降、そろそろBUMPの話がしたいよ。